お米の値段高騰に思うこと
お米の値段が高くなっています。5キロが4500円を超えているので10キロなら税込みで1万円近くです。
これでは育ち盛りの子供がいる家庭はたまったものではないでしょう。
ただこの高い値段でも、農家の手取りは玄米60`で2万円くらいです。消費者が支払う60`あたり6万円にくらべると1/3です。
この差額は、もっぱら米を保管する定温庫の経費や集荷・販売先への運送費、小売りや中間業者のマージンなど。
それでも、昨年までの農家の手取りに比べるとずいぶん上がりました。でも値上がった肥料代や農薬、種苗代のほかに機械の燃料代を払えばほとんど手元に残りません。
もともと米作りは採算にあわないものです。少なくとも10haの水田規模がないと経営としては成り立たちません。
農家の多くは、田んぼをそのまま放っておくわけにもいかず、米が一番手間のかからない作物だから作っているだけのことです。それにお米なら、自分の家で食べるほか子供や親戚にわけることもできます。
だから急にお米の値段が上がったからといって農家の生産意欲が高まったりはしないのです。
多くの農家は 『 農機が壊れたり、体が動かなくなったら米づくりはやめる 』 と言っています。
機械はサラリーマンのときに買ったもので、今さら買い替える気はないらしい。年に数日しか使わないのだから、故障することはまずない。それに、70代の後半にもなると腰を痛めて30`の米袋が持てなくなって、米づくりをあきらめる人が多い。
その70代以上の農業者がいまや農家の半数を占め、60代以上ならは85%にもなります。
米づくりの現場から人がいなくなり、減反を言わなくても国の言う需要に応じた米生産はできるようになっています。そのかわり、もはや増産する余力はありません。
なぜ、これほどまでに日本の稲作は衰退したのでしょうか。
いまも水田ではお米から他の作物に転換すると国の助成があり、水田から畑へ転換する場合も助成があって、お米をつくらないように国は補助金をだしています。減反政策はやめたと言いますが、減反を推進する施策は変わっていません。
国は毎年、国民が食べるお米の量を計算してそれに見合う生産量を示します。それをもとに農家は作付けを決めています。
国民が食べるお米は昭和40年から毎年減っていて、今では当時の半分しか食べないのです。だからこの間に、日本の水田の半分が無くなってしまったのです。
生産現場では誰かひとりが多めに減反を引き受けて、他の人の規模拡大にまわすということはしません。
何十年も平等に減反を分け合って全員が規模を縮小してきたのです。だから立派な稲作経営が育つわけがないのです。
振り返ってみると、お米は国鉄や健保とともに国の三大赤字『3K』とよばれた時代がありました。
戦後、食糧難を背景に農家は米を自由に作り、国がすべての米を買いあげて売っていました。それが農作業の機械化や化学肥料のおかげで米の生産量が増えはじめ、昭和42年には国民が食べる量を超えてしまいました。
すると国は買い入れたものの売れずに残ったお米の在庫を抱えるようになります。無理に売りはらえばコメの値段は下落するし、売らなければ保管コストがかさむうえ、古米、古古米になって買い手がなくなるという窮地に陥ったのです。
仕方がないので昭和46年から1兆円を投入してこの不良在庫を一掃しましたが、それから10年もたたない時に再び同じことが起こって、昭和54年には2兆円をかけて処分しています。
これに懲(こ)りて始まったのが減反政策なので、やむを得ない事情がありました。
それに戦後の農地解放では、地主から農地をとりあげて、それまで小作人だった人々に分け与えたので、1haの小地主がたくさん生まれました。農地の細分化が起こって、たくさんの小農がうまれたのです。
加えて、水田の分割相続が行なわれた結果、農地はさらに細分化していきました。そしてわずかな水田からの農業収入では暮らしが成りたたないので兼業化が進み、現在の姿になっています。
お米づくりで、量を増やすことも面積を増やすこともできないとなると、向かう先は品質を高めることしかありません。
おかげで日本のお米はとってもおいしくなりました。
今でこそ日本食ブームによって粘りのあるジャポニカ米を食べる外国人が増えましたが、世界のお米は細長くパサパサしたインディカ米が中心です。
だから当時は、余れば輸出に回すという発想は起こりませんでした。それが今では、国がお米の輸出に旗をふっています。変われば変わるものです。
昔からお米の政策には難しいかじ取りが求められ、農村は大票田でもあったので政治の動きに翻弄されてきました。
でも、国が長く管理してきたお米の生産・流通・販売は民間に移行されて自由になっています。
農地も所有権と利用権を分離して簡単な手続きで借りることができるようになり、借りた水田でお米づくりがしやすくなっています。
そのため、親子二代で農業をする家などは、リタイアする農家の水田を預かって30ha(30万u)ほどの規模で米づくりをしています。
遅ればせながら、面積を広げて機械を有効に使った望ましい経営が生まれています。
これも兼業農家がリタイアし始めた今だからこそ、出来るようになったとも言えるでしょう。悪い事ばかりではありません。
ちなみに、我が家ではこうした農家から年間300kgの玄米を9万円で買っています。
おかげで今回の米騒動とは無縁で幸いでした。
お米の値段が高くなっています。5キロが4500円を超えているので10キロなら税込みで1万円近くです。
これでは育ち盛りの子供がいる家庭はたまったものではないでしょう。
ただこの高い値段でも、農家の手取りは玄米60`で2万円くらいです。消費者が支払う60`あたり6万円にくらべると1/3です。
この差額は、もっぱら米を保管する定温庫の経費や集荷・販売先への運送費、小売りや中間業者のマージンなど。
それでも、昨年までの農家の手取りに比べるとずいぶん上がりました。でも値上がった肥料代や農薬、種苗代のほかに機械の燃料代を払えばほとんど手元に残りません。
もともと米作りは採算にあわないものです。少なくとも10haの水田規模がないと経営としては成り立たちません。
農家の多くは、田んぼをそのまま放っておくわけにもいかず、米が一番手間のかからない作物だから作っているだけのことです。それにお米なら、自分の家で食べるほか子供や親戚にわけることもできます。
だから急にお米の値段が上がったからといって農家の生産意欲が高まったりはしないのです。
多くの農家は 『 農機が壊れたり、体が動かなくなったら米づくりはやめる 』 と言っています。
機械はサラリーマンのときに買ったもので、今さら買い替える気はないらしい。年に数日しか使わないのだから、故障することはまずない。それに、70代の後半にもなると腰を痛めて30`の米袋が持てなくなって、米づくりをあきらめる人が多い。
その70代以上の農業者がいまや農家の半数を占め、60代以上ならは85%にもなります。
米づくりの現場から人がいなくなり、減反を言わなくても国の言う需要に応じた米生産はできるようになっています。そのかわり、もはや増産する余力はありません。
なぜ、これほどまでに日本の稲作は衰退したのでしょうか。
いまも水田ではお米から他の作物に転換すると国の助成があり、水田から畑へ転換する場合も助成があって、お米をつくらないように国は補助金をだしています。減反政策はやめたと言いますが、減反を推進する施策は変わっていません。
国は毎年、国民が食べるお米の量を計算してそれに見合う生産量を示します。それをもとに農家は作付けを決めています。
国民が食べるお米は昭和40年から毎年減っていて、今では当時の半分しか食べないのです。だからこの間に、日本の水田の半分が無くなってしまったのです。
生産現場では誰かひとりが多めに減反を引き受けて、他の人の規模拡大にまわすということはしません。
何十年も平等に減反を分け合って全員が規模を縮小してきたのです。だから立派な稲作経営が育つわけがないのです。
振り返ってみると、お米は国鉄や健保とともに国の三大赤字『3K』とよばれた時代がありました。
戦後、食糧難を背景に農家は米を自由に作り、国がすべての米を買いあげて売っていました。それが農作業の機械化や化学肥料のおかげで米の生産量が増えはじめ、昭和42年には国民が食べる量を超えてしまいました。
すると国は買い入れたものの売れずに残ったお米の在庫を抱えるようになります。無理に売りはらえばコメの値段は下落するし、売らなければ保管コストがかさむうえ、古米、古古米になって買い手がなくなるという窮地に陥ったのです。
仕方がないので昭和46年から1兆円を投入してこの不良在庫を一掃しましたが、それから10年もたたない時に再び同じことが起こって、昭和54年には2兆円をかけて処分しています。
これに懲(こ)りて始まったのが減反政策なので、やむを得ない事情がありました。
それに戦後の農地解放では、地主から農地をとりあげて、それまで小作人だった人々に分け与えたので、1haの小地主がたくさん生まれました。農地の細分化が起こって、たくさんの小農がうまれたのです。
加えて、水田の分割相続が行なわれた結果、農地はさらに細分化していきました。そしてわずかな水田からの農業収入では暮らしが成りたたないので兼業化が進み、現在の姿になっています。
お米づくりで、量を増やすことも面積を増やすこともできないとなると、向かう先は品質を高めることしかありません。
おかげで日本のお米はとってもおいしくなりました。
今でこそ日本食ブームによって粘りのあるジャポニカ米を食べる外国人が増えましたが、世界のお米は細長くパサパサしたインディカ米が中心です。
だから当時は、余れば輸出に回すという発想は起こりませんでした。それが今では、国がお米の輸出に旗をふっています。変われば変わるものです。
昔からお米の政策には難しいかじ取りが求められ、農村は大票田でもあったので政治の動きに翻弄されてきました。
でも、国が長く管理してきたお米の生産・流通・販売は民間に移行されて自由になっています。
農地も所有権と利用権を分離して簡単な手続きで借りることができるようになり、借りた水田でお米づくりがしやすくなっています。
そのため、親子二代で農業をする家などは、リタイアする農家の水田を預かって30ha(30万u)ほどの規模で米づくりをしています。
遅ればせながら、面積を広げて機械を有効に使った望ましい経営が生まれています。
これも兼業農家がリタイアし始めた今だからこそ、出来るようになったとも言えるでしょう。悪い事ばかりではありません。
ちなみに、我が家ではこうした農家から年間300kgの玄米を9万円で買っています。
おかげで今回の米騒動とは無縁で幸いでした。