お盆を迎えて思うこと
早いもので今月半ばには義父の初盆を迎えます。義父は昭和二年の生まれだったので戦時下に学生時代を送った戦中派です。お盆とは8月13日から16日までの4日間をさします。仏教用語では盂蘭盆会(うらぼんえ)というようですが、提灯に灯をともしお花や果物などを供えて亡き人の霊が帰ってくるのを迎えます。
私の家は神道なのでお盆を迎えても特段することがありません。法事の決まり事があるわけでもなく自由です。でも世の中が祖先の供養をしているのをみると、何か忘れものをしているようで落ち着きません。それに法事の支度をさりげなく、しかも手際よく進めている人を見るとうらやましく思ったりします。
義父は夏目漱石が英語の教師として勤務した松山中学を卒業しています。卒業した年に終戦を迎え、戦禍の余燼がくすぶる東京へ出て大学に入っています。 住まいは池上本願寺の裏にある長い石段を登ったところの家に間借りをして、学校へは市ヶ谷まで電車にのって通っていたそうです。
先日、向田邦子さんの新春ドラマシリーズ(1986〜)を見ていたら昭和十五年ごろの池上本願寺の裏の階段をのぼったところが舞台になっていました。
ドラマでは母と娘三人の女ばかりの家族がつつましく生きる姿と女性の情愛の深さが描かれていて、昭和初期の生活も忠実に再現されています。
母親は加藤治子さんで、長女は田中裕子さん、その従兄だったり婚約者だったりするのが小林薫さんといった役どころです。
新春ドラマシリーズだけにお正月の場面がでてきます。当然といえば当然なのですが、昔は何事も節目を大切にしていた気がします。
年末の大掃除やお彼岸の墓参り、女正月のお年始参りといった節目の行事が数多くあり、それらは日々の生活にハリをもたせていたのでしょう。
義父が懐かしんでいた東京での生活を、『過ぎ去りし日々』としてドラマで垣間見ることができたのは、なんとも幸いでした。
それも、義父の初盆を前にして偶然、みることができたのも、不思議な気がしています。