立ち止まってみてごらん   

 

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               蚕と絹のあれこれ 45   養蚕の言葉  その3  
               蚕と絹のあれこれ 46   養蚕の言葉  その4  
               折々の記 82   ソメイヨシノと薄墨桜   
        折々の記 81   別邸とお殿さま       
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               折々の記 83   文化財の中で働く人々

  堀の内にある城山公園のすぐ横には、議事堂や県庁本館、第一別館といった県の建物が並んでいます。これらは一番町の大通りに面していて裏手は城山の崖に接しています。


        堀の内からみた県庁本館と別館(右手の白い11階建て)

  このうち県庁の本館は4階建ての石造りで昭和4年に建てられたものです。建物は左右対称になっていて中央上部には青緑色のドームがついています。この大正時代を思わせる重厚な近代洋風建築は城山の中腹にある萬翠荘(ばんすいそう)とならんで文化財になっています。

  本館の正面玄関には御影石(みかげいし)張りの車寄せがあり、そこを入ると目の前には花崗岩でできた広い階段が二階へと伸びています。
  守衛室を右手にみながら石段をのぼると正面玄関ロビーがひろがっていて、床には黒白模様の大理石が敷かれ、正面の白い大理石の階段には赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれています。
  三階と四階は廊下のすべてに赤い絨毯が敷かれ、窓や壁、天井などには優美な彫刻がほどこされています。
  また三階の貴賓室(きひんしつ)にあるルネッサンス調の暖炉やシャンデリアは大正ロマンの香りを漂わせています。

  おそらく実際に使われている県庁の建物としてはかなり古い部類に入るでしょう。また、石造りの重厚な歴史ある建物だけに、外から来た人にとってはある種の威厳のようなものを感じるかもしれません。


  春雨にけぶる城山の松山城本丸と県庁本館 オレンジ色は市内電車

  その3階の古めかしい一室で採用の辞令をもらった日のことをいまも覚えています。

  保健師や水産、蚕業などの技術職は6月1日の採用でした。
そうした40人ほどの新採たちが人事課の職員らに引率されて狭く薄暗い部屋で待っていると、お供をつれた副知事が大股で入ってきて一瞥(いちべつ)するなり、『ここに儀礼をわきまえない奴がおる。県職員としては失格である。出ていけ!』 と怒り出したのです。

  彼が指さす方をみると、一人背広を着ていない背の高い新採君が何食わぬ顔で立っていました。たしか京都の大学から来た同じ職種の人でした。

  一瞬、部屋中が凍りつき、『どこの所属のものか!』 と鋭い叱責が続きます。すると随行していた職員が慌てて自分の服を脱いでその新採君に渡し、なんとかその場はおさまりましたが、しばらくは職員としての心構えをくどくど説教されたように記憶しています。

  副知事のような偉い人があんなに人前で怒るとは、と驚きましたが、戦地帰りの兵隊や特攻の生き残りが県にも多くいたので荒っぽいところがありました。

  あとで背広を渡した職員は『びっくりしたなー。気がつかずに悪かったなあ。』と新採君に話していました。当の御本人は『背広を着て来ようかどうしょうか考えたのですがね。まあいいかと思ったのですよ。』と平気なものです。
  話からすると、この二人は大阪出身で大学の先輩後輩にあたるらしく、大阪から来るような人たちはこんなことくらいではさほど驚かないようでした。

  それにしても威厳のある建物とそこにいる人の厳しい態度には驚かされました。ですがこの時は、まさか30年近くもすぐそばで働くことになろうとは夢にも思いませんでした。

  この本館は知事や副知事、秘書課、財政課、人事課といった県政の中枢を担う人たちの部屋で占められています。
  私がいた別館からこの建物へ呼ばれた時には、ひんやりとした空気と薄暗さの中でいつも気をひきしめながらやってきたものです。

  というのも本館では 『絨毯(じゅうたん)を踏まないこと』、『私語はつつしむこと』 『むやみに音をたてないこと』などの規律が徹底されていたのです。

  権威ある建物のなかにおける暗黙のルールのようなものでした。
でも考えてみれば、みんなが絨毯を踏んで歩けば痛みが早くなって絶えず取り替えねばなりません。
  それに建物が石づくりなので廊下で話すと声は反響して部屋の中まで伝わります。ある部屋では十人ほどが仕事をしているのに鉛筆の転がる音が聞こえるほど静謐(せいひつ)さが保たれていました。
  
  文化財を仕事場として使ううえで、働く人たちも建物の権威を損なわないように立ち居振る舞いには気をつけていたのです。ある意味、人も建物の一部として文化的価値を共有していたとも言えるでしょう。

  ですから、あの辞令交付式での副知事は、暗黙のルールが守られていないことに平然としている人事課や随行の職員を叱ったものと思われます。

  これに対して私が居た別館は11階建ての新しい建物なので、部屋に日がよく入って明るいうえに電話や来客との会話、打ち合わせや議論などが活発におこなわれ喧騒に包まれていました。

  声の大きな職員がいると、こちらの電話の声が聞きとれないので手振りで注意することもしばしばでした。それでも、活気があってオープンで性に合っていたように思います。
  人の性格が建物によって影響を受けるとしたら、文化財が仕事場でなくてよかったとしみじみ思います。


       三ノ丸跡の堀の内にある土塁(右手)とお濠(左手) 南堀端


              西堀端の土塁(左手)とお濠(右手)