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折々の記 101 土入れから始まりました
いまの家を建てた当初、庭には二本の松の木が植っていました。それは義父が自宅にあったものを移しかえてくれたもの。
でも、一年ほどで一本は枯れ、残りの一本も風が吹けばグラグラと揺らぐようになりました。
松は痩せた土地でも育つ生命力の強い木です。その松が枯れてしまったので慌てました。しかも枯れたのは妻が生まれた時に植えられた記念の樹です。
植穴を少し掘ってみると赤土の層が申しわけ程度にあるだけで、すぐに大きな石やコンクリートの破片がぎっしりと埋まった層に突き当たりました。
さすがの松もこれでは根をおろすことはできないでしょう。
聞けば、ここにはもともと缶詰工場が建っていて数十年前にそれを取り壊した際に瓦礫を埋めて整地したらしい。長らく放置されていたところ、持ち主が換わり少しだけ土を入れて分譲地にしたという。
たしかに、まわりの家を見ると直接草木を植えている家は一軒もありません。
草木が育つための耕土層がないせいでした。
そこで下に耕土層がないのなら上に作ってはどうかと考えたのです。ただしこれには根気と長い年月が必要でした。
毎年、少しずつ赤玉土と腐葉土を買ってきては投入し、十年かけて土の厚みが十aになったころ、ようやくパンジーやビオラなどが育つようになりました。
さらに十年ほど続けて二十aになると低木のレンギョウやニオイバンマツリ、桑の木も育つようになり、三十aになるとグラグラしていた松の木も簡単には揺らがなくなりました。
そして草木が繁り、鳥や蝶がやってくる庭になりました。
一般に、根は水分の勾配を感知するとその多い方へ曲がってのびていきます。
そして土壌が湿潤であれば根は太くなって分布も浅くなりますが、乾燥した条件のもとでは根は細くなって深くもぐりこみます。
毎年、赤玉土と腐葉土を入れたおかげで土の団粒化が進み、根が利用できる水、つまり土の粒子の間にある水を多く含むようになっています。
そのため草木はお互いに水を奪い合うこともなく、根は浅い耕土層に広がっています。
また、根は遺伝的に伸びる角度が下向きの品種は深い根系になり、横向きの品種は浅い根系になります。
これは重力を感知しやすい品種は下向きになり、感知の弱い品種は横向きに伸びるためです。この重力に対する根の屈性は一つの遺伝子によって決まっています。
あいにく、この庭では下向きに行きたいタイプでも三十aの耕土層より下へは行けず、横に行きたいタイプでも隣の植物を越しては行けません。
やむなく根は限られた範囲にとどまって細根を増やす方向に変化し、根が本来持っている遺伝的な欲求は抑えられているのです。
普通なら地面の上に栽培用の耕土層を作るといえばおかしな気もしますが、畑ではわざわざ畝を作ってそこに種をまき、時に土寄せしながら野菜を栽培しています。
畝はここでの耕土層と考えればよいでしょう。だからどんなに小さな坪庭でも根気よく土入れをすれば草木が育つ環境を作れます。
赤玉土や鹿沼土などの火山灰土に腐葉土をまぜ、化成肥料を少し多めに入れて、層を作るように土入れを繰り返すだけで良いのです。
ただ、草木にとって望ましい環境は雑草にとっても好ましいので、手をぬけばすぐに雑草が繁茂してしまいます。腐葉土には草の種子が入っていると考えてよいでしょう。
これからあと何年くらい土入れを続けられるか分かりませんが、耕土層が五十aほどに盛りあがったとしたらそれはそれで見ごたえがあるでしょう。
他愛のない老人の楽しみですが、道行く人の目を楽しませるためにも続けていきたいと思います。