折々の記 10

  


   庭に桑の木が植わっている。植えてから二十年は経っているだろう。春になると紫色をした実をつけるので楽しみにしていたら、カミキリムシが繁殖して幹が空洞になってしまった。

    桑の実                 空洞になった桑の幹
  台風が来れば倒れかねないので地際近くで切り倒したが、一と月ほどで新たな芽がふいて今では再び繁茂している。地面近くで幹を切るのを切り戻しというが、桑は何度切り戻してもその都度生き返ってくる。

   桑畑にいると、カミナリに当たらないという逸話がある。話のもとになっている上州は養蚕が盛んだったうえに雷も多かった。たしかに、強い枝が繁茂するためカミナリすらも通りづらいのだろう。関八州の博徒たちは家の周りに桑を植え、襲われると桑畑に逃げ込んで逃げたという。茂った葉と強い枝のしなりで、追っ手の追撃をかわせたらしい。桑にまつわる話が多いのは、それだけ桑が身近な存在だったのだろう。
  その桑は蚕にとって唯一のエサである。蚕はなぜか桑の葉だけを食べている。おそらく体が桑を消化・吸収できる仕組みになっていて、桑以外の植物には発育を阻害する物質が含まれているのだろう。 蚕は桑の匂いをかぐと近寄って口の傍にある感覚器で触って確認したうえ噛んで確かめて飲み込んでいる。きわめて用心深く食べている。

  餌となる植物は虫のからだのつくりで決まっている。たとえ飢死しそうになっても他の植物を食べることはない。だから卵から孵った子供が間違いなく餌にありつけるように、親は餌となる植物に卵を産んでいる。
  ただ進化の過程で何でも食べる虫が現れてもよさそうだが、それは食べられる植物にとって迷惑な話である。植物の方でも自身の成分を少しずつ変えて、そういう虫が出てこないように工夫している。時には毒さえ仕込んで虫をやっつける植物だっている。
  しかしそのうち、そうした植物でもこれを食べる虫が現れる。いまの多種多様な虫の種類は、そうしたイタチごっこによってできている。