折々の記 40

 サトイモ考

   春になるとサトイモの種芋を植えはじめます。早出しのマルチ栽培なら菜種梅雨(なたねづゆ)にかからない3月中旬に畦を立て、下旬には種芋を植えつけます。種芋は冬のあいだ倉庫に保存したり、畑で土をかぶせて残しておいた株をほり出して、子芋や孫芋の良いものを選びます。
  秋にとれた一割ほどを種芋用に残すため種芋に選んだ残りは産直市などで売られます。これらは柔らかくて質のよいものが多いほか、赤芽や大吉といった親芋用の里芋は子芋が少ないだけに見つけたら躊躇なく買うことをおすすめします。
  
   サトイモには地域ごとに呼び名があってその数は140種類もあります。調べると案外、同じ種類のことも多いのですが、姿・形で分類するとおよそ15の品種群に分けられます。
  主な品種群には石川早生(いしかわわせ)、蓮葉芋(はすばいも)、土垂(どたれ)、唐芋(とうのいも)などの群があり、いち早く旬を迎えるのは石川早生です。夏から秋口までが旬になります。初秋から晩秋までは蓮葉芋になり初冬からは土垂や唐芋が旬になります。石川早生は小さな子芋が多くつくのでキヌカヅキといって子芋を茹でてツルッと皮をむき塩や味噌をつけて食べています。
  蓮葉芋はクリイモともよばれ栗のように甘い里芋といわれます。鶏肉やネギ、コンニャク、アゲなどとともに煮こんだ芋炊きは秋の風物詩として知られています。
  土垂(どたれ)は東日本に多くつくられる最も多い里芋です。また唐芋(とうのいも)には京料理に使われる海老芋(えびいも)がふくまれ、真芋(まいも)や鶴の子、ぼうとう、ほらいも、などの地方名がやたら多いのが特徴です。

  里芋は山でとれるヤマノイモに対して里でとれることから里イモとよばれています。古くは宇毛(うも)とよばれ、奈良時代には伊毛(いも)や伊閉都伊毛(いえついも)、江戸時代になって左土伊毛(さといも)とよばれるようになりました。 ちなみに宇毛(うも)は古代中国語に由来するのでかなり古くから日本にあったわけです。
  昔から行われてきた焼畑農業では山を焼いて四年目にサトイモをつくります。山を焼いたあとの年ごとに作る作物は決まっていて四年目が畑として使う最後の年になります。焼畑農業は中国雲南省あたりから伝わった照葉樹林文化の一つです。日本では縄文後期に始まったと考えられ、サトイモはイネより歴史が古いのです。いまでも当時のサトイモが九州に自生しています。エグイモの仲間で 'シマイ'とか'シマイイモ'とよばれ、焼畑で最後に栽培するのでお仕舞いからその名がついたのでしょう。

   この熱帯の作物であるサトイモがもとから日本にあったわけではありません。 15の品種群の遺伝子を調べるとそれぞれ中国やフィリピン、ミクロネシアやメラニシア、オーストラリアのものと一致します。おそらく、ヒマラヤ山麓南東部で生まれたサトイモの祖先は中国や東南アジア、南洋諸島へと広がってそれぞれの地域で独自の進化をとげたのでしょう。それらが沖縄や南西諸島を経て九州に入ってきたようです。
   ただ、日本では冬の寒さによって地上部が枯れてしまい、熱帯育ちのサトイモには難儀なことだったでしょう。 南洋のように茎とつながる親芋しか太らない生き方には環境が厳しかったのです。そこで地上部が枯れても子芋や孫芋を多くつくって栄養を分散・貯蔵し、翌春に生き残った次の世代が育つようにしたのです。
   里芋の品種によっては花を咲かせるものがいます。ミズバショウの花のような仏炎苞(ぶつえんほう)です。日本の里芋の多くは寒さにつよい
3倍体なので花は咲きません。それでも稀に咲かせるのは熱帯に暮らしていたころの遠い記憶なのかもしれません。